SNS(Twitter)で知ったこと

ハムスターの飼育や病気、その生命との向き合い方の一例として自分の経験を発信したくて始めたTwitterだったけれど、タイムライン覗いても最近は正直モヤモヤしたり嫌な気持ちにしかならない。
ただ単に自分の中に、何かを期待したり他人や世界に期待する気持ちが妙に残っているからかもしれないけど…。

「共感」「ポジティブ」「美しい(可愛い)物事」を無意識なままひたすらに追ったり発したりする人がとても多いように感じる。
でもその反対にある「現実はどこまでも個であること」「ネガティブ」「醜い物事」が世界にはたくさん溢れているし、そこから目を逸らし続けるのってどうなのかな、っていつも思う。
みんな「せめてここだけは」という気持ち故だろうか、それはそれで疲れないかな?
自分の場合はたくさんのポジティブで可愛くて共感を呼ぶ「だけ」のTwitterのタイムラインにはホトホト疲れてしまった、他の誰ひとりとてそう感じなくても私には無言の「同調圧力」をいつも感じてしまうのだ。

ja.wikipedia.org
「エコーチェンバー効果」とは、エコーチェンバーのような閉じたコミュニティの内部で、誰と話しても自分と同じ意見しか返って来ないような人々の間でコミュニケーションが行われ、同じ意見がどこまでも反復されることで、特定の情報・アイデア・信念などが増幅・強化される状況のメタファー(隠喩)となっている。ウィキペディアより引用)

自分のいるクラスタ界隈、どこもかしこも上記現象の渦中で、大きな広がりや解放感なんて望めず閉塞感しか感じられない。
こんなならハッキリ言って実生活と何ら変わらないのではって思うし、むしろリアル以上に濃く似たような趣味嗜好の仲間が寄り集まってワイワイやってる分、タチが悪いとも言える。
人間って集まるといろんな方向に向けて力を放出していく、その多くは大抵悪いことの方が多いなと改めて思い知った。それに渦中にいる人は大方気が付かないと思う。

courrier.jp
上リンクは有料記事なのでもしや途中までしか読めないかもしれないが、映画化もされた「アメリカン・サイコ」で知られる作家ブレット・イーストン・エリスの新作刊行に伴うニューヨーク・タイムズの記事である。
このインタビュー記事によると、彼は新作「ホワイト(White)」の中で「共感の恐ろしさ」について(以下上記リンク先より引用)

「すべての人に同じ価値観を共有させ、皆と同じ『よりよい』意見を持つべきだと示唆する警戒すべきイデオロギー」だと書いている。


そうだよな。読んだ瞬間「ほんとにそう」とため息。
まさにここ最近のTwitter上(他のコメント界隈やネット上でも目にする)での問題なさそうな発信が知らず知らずのうちに纏う何とも言えぬ重苦しさや非常に無味で無表情なポジティブ発信を見聞きする感触はこれに似ているな、と。
表現乏しいけど、そんなこんなでTwitterもこのブログも滞り気味であります。

正直、現状としてはネット上での意見のやり取りは、不毛なものが多い。
そう思うなら早く自分も足を洗おうと、またしても押し黙るしかない状態です。
悲しいかなたとえ狭い世界だとしても、リアルに勝るものはない。
実体験に基づかなければ、いくら正しい情報でも本当に思い遣ったり思い知ったりすることは難しいだろう。
生涯かけて、想像を超えた妄想力を追い求めている自分はそう考えます。

【追記】Twitterの飼育専用(?)アカウントは削除しました(2020.3.8)ちょっと名残惜しさもあったけれど、自分の精神衛生を保つためには必要な行動だと思いました。人生のあまりにも多くの時間をSNSに割くのは健康的とは思えない。しかもそこで見るものが自分にとって大きなストレスになるなら尚更です。情報収集は別アカウントで行おうと思います。ブログは…ぼちぼちやってく予定。

カムちゃん あなたの一生を思って

あなたを亡くして
あなたの温かい体に触れられなくなってから
24日過ぎました。

49日の約半分。
あなたを失った哀しみを
忘れ去ることさえ
受け入れられなさそうで
まだまだ自分にナイーブな部分が
残されていたんだと
我ながら少し驚いています。

いいえ、もしかしたら
そうではなくて

この哀しみや自然と溢れてくる涙は
あなたの存在が思っていた以上に
大きくて
一緒に過ごせることが
当たり前だと勝手に勘違いしていたから
なのかもしれません。

あなたの死、そしてお別れを
あなたの抱えた
痛みや辛い時間との決別だと思い、
フィナーレとして受け入れ喜べたらと
思っていたのに
現実は弱い心が邪魔をして
どうしてもうまくいきません。

でもこの涙も哀しみも
あなたからの最期の思い出、
プレゼントだと
しっかり自分の時間に
刻んでゆこうと思います。

ありがとね
ありがとう

ずっとあなたのこと
忘れない。

カムちゃん、
自由と安らぎと 共にあれ

2019.10.28 夜更けに
飼い主 より
※後に一部加筆修正あり


(少し解説)
カムちゃんは最初に飼ったジャンガリアンハムスター(プディング)で、昨年2019年10月4日の晩、長きわたる通院と病気療養の末に天国に召されました。亡くなる前から彼に宛てたラブレターのようなものがメモとしてスマホ内にいくつかあります。
亡くなってから約3ヵ月が経つというのに私は彼の暮した空のケージを片付けられぬまま。しかし昨夜ちょっとしたアクシデントで、そのケージ一部を濡らしてしまい、生前のままケージ内に敷き詰められた床材がびしょ濡れ。仕方なくケージを片付け始めましたが、次から次に涙があふれて床材だけを取り除くのが精一杯でした。彼の使っていたポテチの筒で作ったトンネルや巣箱、今もフードの入った餌皿は、無理しないよう今後少しずつ片付けていこう、そして少しずつこっぱずかしい彼へのラブレターをここに置いていこうかなと思っています。

<重要>このブログの注意点と前置き

うっかり忘れていたけれど、まずは読んでくださる方への注意点を。
どうか目を通してやってください。

==【重要!】===

このブログを見てくださる全ての方へ
このブログに書かれてあることの多くは『一素人飼育者である筆者』が飼育書やネット上で調べた事やかかりつけ獣医師の助言をもとに約3年間の飼育経験から感じたり思ったりしたことに過ぎません。絶対に間違っていないとか、この方法なら長寿に育てられるという保証はございませんので悪しからず(可能な時は参照元は書き添えます)このブログを見て良いなと感じてくださったとしても余り信用はせず『あなたの頭で考え別のソースからも情報収集し、ご納得の上』で参考にしてくださいませ。もしも何か問題が起きても当方では一切の責任を負いかねますのでその点どうかご留意ください。また、あなたの飼いハム・ウサと我が家の飼いハム・ウサは、個体として全く別物であり同じではありません。上記お忘れなきようよろしくお願いいたします。
===========

ではここからはブログ執筆者である私自身の細かい話、自分のペット(小動物)飼育についての考え方について少し書いておこうと思う。

子供の頃、叔母さんちから譲ってもらったセキセイインコの雛を育てたり、幾匹かの十姉妹、ミシシッピアカミミガメや夜店で釣ってきた金魚を飼育したことがあったけど、「ペットを飼うことはどういうことなのか」について無自覚で不勉強な状態だった。
その後、実家を出てかなり経っていろいろ考えてたら急にカニを飼ってみたくなった(本当はイカやタコに興味があったが飼育がすこぶる難しいとネットで目にして断念した)ペットショップに行く機会を何度か作り、ある時友人と出向いた店で薄いスポンジが敷かれた小さなプラケースの中に閉じ込められ売り場の一角に積み上げられたオレンジ色の不自然なカニの群れを見た時、飼いたかったからというよりどうにも居たたまれない気持ちになり1匹購入して連れて帰った。(友人にも生き物を飼うのはいいよとか激しくけしかけられた)そんなこんなでモヤモヤしつつもオレンジ色のバンパイヤクラブのカニ男さんと半年ほど一緒に暮らした。カニ男さんは1、2度脱皮をしたけれど、飼育の基礎知識の無さから短い時間しか生かしてやれなかった。

物心ついてからの私は基本、ペットという趣味(ここでは世間一般の捉えられ方に合わせてあえて“趣味”という)について「野蛮」で「残酷」で「人間のエゴの塊そのもの」だと思っている。だからフワフワした被毛を持つ見るからに愛くるしい生き物を飼うことについて非常に否定的で自制して今までずっと手を出さずにいた。家に招き入れたい気持ちが起こってもうんうん唸って考えては買わないようにわざと仕向けてきたのだ。

それから数年後の2017年10月、売れ残りのジャンガリアンハムスター(カムイ♂)から始まり、カムイと同じ店でひとめぼれしたアルビノスッポン(ぽん介 性別不明)、とあるホームセンターで不適正飼育されて細く小さく育ったジャンガリアンハムスター(硯♀)、里親募集サイトで譲り受けたシリアンハムスター2匹(ねんねん♂、まど♂)、前述のホームセンターで売れ残り育ち切ったミックスウサギ(俗に言うミニウサギ、トロン♂)、同ホムセンよりジャンだかキャンだかわからん謎のドワーフハムスター1匹(アル♂)……次々と飼育数を増やしてしまう。

ぽん介を除いてみんな、店で叩き売られていたり不適正飼育されてたり、里親募集の子を私は進んで家に連れてきた。もちろん連れてきた子には何かしらの縁を感じたけれど、実際は心のどこかに「かわいそう、見ていられない」というような哀れみの気持ちがあったと思う。でもそんなのはまあ店側の策略だろうから、まんまと乗せられて買って連れて帰ってきたのだ。「可愛い、癒される」と生き物を買ってくることを私は稚拙な行為だと思っているけれど、「可愛い、癒される」も「かわいそう、見ていられない」も同じ類いの感情なのだと自覚はあるから時々ほんと自分の事がどうしようもなく嫌になる。エゴや感情で生き物を買ってきてその生涯を全て人間の楽しみのために搾取するのなら、せめて自分は彼らの全てに責任を持ちその命に飼育面以外で何か返せることはないものかと真剣に思った。彼らと日々暮らしてカニ男、カムイ、ぽん介や硯を天国に見送る経験をし、だんだんとこの恩返しのような気持ちが膨らんでいった。
自分の出来ることをなんだかんだ常に試行錯誤して少ない飼育経験から得た結果や自分なりの知恵を多くの人に見せることで、どこかの誰かの少しの参考になればと。そうやってもしどこかの飼い主さんのお役に立ったなら、きっとそれはそこのおうちのハムやウサの役に立っているだろうから。

…とまぁクドクドとすみません。心の中で生き物の生涯を利用していることを恥じつつ自分を戒めながらも、今も彼らと暮らしています。でも私の生活は大抵楽しく幸せ。ただ、いつもすこぶる貧乏だけど(笑)

ウサ飼いさんにおすすめの本。泣けるエピソードも。
うさぎの心理がわかる本 (日本語) 単行本 – 2012/1/20
大野 瑞絵 (著), 鈴木 理恵 (著), うさぎの時間編集部 (編集)